私たち大人がやるべきことは、子どもにいきなり種を蒔くことではなく、耕す事ではないでしょうか。
それによって、いつか自らに備わっていた種が発芽ことも、鳥が運んで来た種がたまたま生えることも、皆の楽しみの一つとなるでしょう。
時を経てスクスクと育った幹や葉は、子孫に幸せな環境を与えることになります。
種を蒔き、肥料を与えることの前にやるべきことがあります。それを忘れないようにしましょう。
このところの社会は耕し方が不充分な荒地をそのままにしてしまっていませんか?
アルネのやるべきことは、そんな土地を耕すこと、そして耕し続けること。
草は自然と生えてくる。
種は風や鳥が運んでくる。
そんな想いでこの年Art-Nais(アルネ)をスタートしました。
荒地は放置しておいても見事に繁るかもしれない、でも人間だから耕すのだろうと思います。
2009年4月 なんぶルネサンス 村越洋一
アルネに足を踏み入れると、自然と気持ちが良くなって時間が経つのを忘れ、何かをつくりたくなり、平和な気分になります。
鳥の鳴き声や風の音に混じって、トントン、カンカン、ものづくりの音が響く。
細い径を行くと、遠くを眺めてぼぉ〜っとしている初老の男性。詩を読んでいるのかな?
人の通ったらしき跡をたどったら小さな池に無数のおたまじゃくしと、錆びたオブジェが待っていてくれた。
日が暮れる前にはもどらなくちゃ。
今日は小鼠カフェで、杉の香りのバームクーヘンをいただくとするか。
「チューチューチュー」と3回言うとハッカ飴のサービスだって。錆びたオフジェに書いてあった。
「ごめんよ、チューチューチュー」
・・何も出てこなかった。どうやら誰かのイタズラ。
でもいい。奧の若い人が笑ってくれたから。
先週からここに居るという役者さんから、「今度の公演を見に来ないかい?」と誘われた。
ほんとうは出演しないかと言いたいんだろう。
勝手に期待しながら、また来週来る約束をしてアルネをあとにする。
面白そう。楽しそう。というのは理解できるが、それを説明できないことは沢山あります。
一人の人が箱の中を覗き込みながら、笑顔を浮かべ、時折クスクスっと笑っているとします。それを見たあなたはきっと、箱の中身に”面白そうな何かが入っている”ように想像しますね。
なぜそう想像しますか?
と聞かれたら何と答えますか。
必死に答えたとして、それは、説明になっていますか?
しかも、その説明が解る人と解らない人がいるように、私は思いますがいかがですか?
人というのはよく解らないものだと思います。それが自然です。
人の事を隅々まで解るなんて事はありえません。自分の事ですら解らないのですから。
ねおかんの事を説明できる人はいません。
なぜかというと、人と人が合わさって生まれる現象の事だからです。
目指すものは明確ですが、その過程の現象について説明できる人なんていません。
だから理解が出来ていないように思うかもしれませんが、
そのことを説明する必要もありません。
解らなくていい。説明出来なくていい。
面白そう。と思っていただければそれが最も理解しているということです。
100年経てば説明できるようになるのかもしれません。
人知の及ばない世界は世の中に沢山あります。それに魅力があると思える人が、ねおかんやアルネで、これから何かをやろう。と思う人です。
ねおかんもアルネも結果ではありません。だから説明出来ないのです。
(2010年 なんぶルネサンス 村越洋一)
昔は不便だった。(昔っていつ?便利って何?・・)
物が無い。だから知恵を使おう!
物も情報も在ることが良いことではない。なぜなら、キリがないから。
欲が膨らんでキリがないから。
無くて工夫をすることには目標と限界と達成がある。
いくら便利になったって、そんな事からかけ離れちゃいけない。
猟に出て獲物を捕る。農耕に励んで食を作る。道具を作る。居心地の良い住まいを作る。衣類や装飾品を作る。唄ったり奏でたり。
そんな基本を、競って便利にして安くして、そろそろ不満は無いでしょう?
そうでは無いことを私たちは担当する係であると思う。
それは創る事だと私は思う。
(2010年 なんぶルネサンス 村越洋一)
スローギャラリー SlowGarelly =ここちよい創作物の展示
エクスプレッションワーキング ExpressionWorking =表現するワーク
ここちよい創作物があるとすれば、ゆっくりとした環境の中でしゃかりきに表現しきった残像である。
”苦しみ抜いた結果”では無い。
それは自然に溶けこんで見る者を癒してくれる。自然に優しいからである。
ものづくりに厳しい精神は必要である。それは自然の中で生きることがたやすいことではないからである。辛さ、悲しさ、厳しさを生き抜いてこそ自然と一体となって人間の持つ愛情に訴えるのである。
そんな創作物に触れた人間は心動かされ、水、空気、大地を敬う。あらゆる創作物の根源はそこにあるからだ。
そして人間は自分自身を表現したくなる。表現することは、耕すことであり、奏でることであり、創ることである。
愛する者のため愛のある表現を。その姿はまたスローギャラリーでもある。
(2010年 なんぶルネサンス 村越洋一)
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